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国民健康保険 名田庄診療所
中村伸一


施設名称 :
国民健康保険名田庄診療所
開設年月 : 1955年7月
所在地 :
福井県大飯郡おおい町名田庄下6-1
管理者 : 所長 中村伸一
診療科目 :
内科、胃腸科、消化器科、アレルギー科、小児科、外科、整形外科、皮膚科
併設施設 :
「あっとほ~むいきいき館」内に、診療所のほか、歯科診療所、訪問・通所介護事業所、国保総合保健施設、住民のための多目的室、町役場の支所などを併設。



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 9月22日からの8日間の被災地の支援で。登米市登米診療所の診療の次に向かったのは南三陸町でした。
 南三陸町全体の被害ですが、 海岸から3km内陸まで浸水し、人口17666人中、死者509名、行方不明者664名で、避難者はピーク時10000人でした。
 南三陸町の公立志津川病院の被害のひどさはは、前に書いた通りです。被災後の危機的な状況で住民の診療を担ったのは、同院内科部長の西澤匡史医師(38歳・自治医科大学卒)でした。
 まずは避難所を立ち上げることから始め、重傷者のヘリコプター搬送を要請しつつ、水道も電気もない中、かき集めたわずかな薬と簡単な治療器具だけで1日に300から400人もの診療をしていたそうです。
 震災5日目になって、ようやく国境なき医師団が支援に来ました。その後は徳洲会、奈良県医師会、自治医大同窓会、イスラエルなど次々と医療支援チームが入りました。 ただし、各チームが入ってくるだけでは医療体制は整いません。地元をよく理解する人間が、それを仕切らなければなりません。
 西澤医師は続々と南三陸町入りする医療支援チームを受け入れるため、町内各地の避難所の情報を収集してニーズを把握し、どの避難所にどの支援チームが適切かを判断し、全体をコーディネート(調整)したのです。結果的に25チームで約50カ所の避難所の医療支援に当たりました。
 西澤医師の働きぶりをみて、町は「南三陸町医療統括本部責任者」の、県は「宮城県災害医療コーディネーター」の肩書きを与えました。彼の超人的な活躍のおかげで、この体制は震災後約2週間で確立されました。
 私がお手伝いしたのは、町内最大の避難所であるベイサイドアリーナという体育館の近くに立てたプレハブの公立志津川病院仮設診療所でした。
 彼の話を聴いて意外だったのは、従来は無駄と思われていたものが、被災時、おおいに役に立ったことでした。この話は次回に。。。

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