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Author:natasho
国民健康保険 名田庄診療所
中村伸一


施設名称 :
国民健康保険名田庄診療所
開設年月 : 1955年7月
所在地 :
福井県大飯郡おおい町名田庄下6-1
管理者 : 所長 中村伸一
診療科目 :
内科、胃腸科、消化器科、アレルギー科、小児科、外科、整形外科、皮膚科
併設施設 :
「あっとほ~むいきいき館」内に、診療所のほか、歯科診療所、訪問・通所介護事業所、国保総合保健施設、住民のための多目的室、町役場の支所などを併設。



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<はじまりは廃校利用の施設>
 平成3年10月、福祉バスの購入がきっかけで、村の保健・医療・福祉の関係者が集まって協議した結果、「健康と福祉を考える会」が結成され、デイサービスを開始することになりました。恐る恐る始めたデイサービスも徐々に利用者が増えてきて、さらには住民ボランティアの協力も得られ、軌道に乗ってきました。
 そのころ、デイサービスを実施していたのが、名田庄村老人福祉センターでした。この建物は、廃校になった小学校の校舎を増改築し、老人福祉に活用したものです。
 しかし名田庄村の場合、この廃校になった校舎をすぐに老人福祉センターに転用したわけではありません。廃校直後にこの校舎の住人になった人がいるのです。それがなんと、伝説のフォークミュージシャン高石ともやさんでした。彼のグループは「高石ともやとナターシャセブン」といいますが、このナターシャというのがロシア人女性の名前でないことは、もうおわかりですね。そうです。なたしょう(名田庄)をもじった表現なのです。

 さて、順調に軌道に乗ってきたデイサービスですが、実はここ老人福祉センターは、もともと老人会クラブ活動で元気なお年寄りが集う場所でした。そこでデイサービスを始めたことで、寝たきりで自宅に閉じこもっていたお年寄りも来ることとなり、久しぶりの再会で昔話に花が咲きます。さらに、少し若い世代のボランティアの方たちも入り込み、もちろん私たち保健医療福祉のスタッフもからんできます。自然な形で新たな交流が生まれます。
 そうこうするうちに、誰からともなく「みんなが集えて自然に交流できる場」がほしいという声がわき上がってました。
 当時、この老人福祉センターと診療所は1km、役場本庁とは4kmの距離がありました。車で走れば、すぐ着きそうな距離ではありますが、利用者とボランティアとスタッフには「もっともっとお互い近づきたい」という思いが強くなっていきました。
 ついには、デイサービス予行演習でみずから海パン1枚で実験台になった社会福祉協議会事務局長が決断しました。
「みんなの声を集めて、村長に直談判しよう!」
 健康と福祉を考える会で診療所・役場住民福祉課・社協の全職員で話し合い、ボランティアグループとも話し合った後に、「福祉の森検討委員会」と自分たちで勝手に名付けたあやしげな委員会の署名を持って、社協事務局長は村長に直談判に行きました。
 その翌日、私は村長に呼び出されました。行政職員である私が、上司である村長に直接ではなく、社協事務局長を通じて重要な案件を提出するのは掟破りです。その方が効果があると思い、そうしたわけです。しかし「やはり、しかられるか?」という重い気分で村長室に向かいました。
 
 村長は私を見るなり、笑いながら大きな声で言いました。
 「おー、ドクター。なんや、いっしょなことを考えておったかー。実はなぁー」
 村長は私のことを「ドクター」と呼びます。部下なのに「先生」と言うのも変だし、「中村」と呼び捨てにもしません。役職で「課長」とも呼ばれません。職種の方が呼びやすいのか、いつも「ドクター」です。
 話を聞くと、驚いたことに、村長も同様の計画を考えていたのです。村長は元はスーパーの経営者で、村会議員を経て選挙で当選し、公約は「福祉の村づくり」でした。
 ところが、福祉分野の出身でないため、具体的なことは他から聞くしかありません。そこで、村内の障害者団体や高齢者団体の代表、障害児を持つ親や有識者を集め、私的な諮問機関「福祉懇談会」を開いていました。そこでも、保健・医療・福祉の総合施設の必要性が議論されていたと言うのです。
 全く同じようなことを、職員の集まりである「健康と福祉を考える会」と村長の私的諮問機関である「福祉懇談会」の双方で議論していたのです。その偶然に、村長も社協事務局長も私も、本当に驚くとともに、この計画はぜひ実現しなければならないという思いをいっそう強くしました。
 数日後に、両会の全メンバーが集まり、助役を中心に保健医療福祉総合施設の建設チームが結成されました。
 
 その後、新しい施設の基本構想に1年間を費やし、徹底的に議論しました。   
 従来の公共施設の建設は、自治体トップとゼネコン業者が密室で打ち合わせし、コンペがあればいい方で、いつの間にか図面が出来上がり、その間スタッフと住民は何も知らされることなく工事はすすめられます。完成が近づくと「いよいよベールを脱ぐ」感じで、ようやく施設の全容が明かされる。トップダウンの進め方とはこのようなものでしょう。
 私たちの場合は違います。基本設計どころか、基本構想の段階から、スタッフも住民がも入り込んでいたボトムアップの手法といえます。
 
 長い議論の末、最終的には以下のコンセプトに集約されました。
*在宅ケアを支えるための拠点とし、入院・入所は広域で考える。
*病気・障害への対策だけでなく、元気づくり・健康づくりも行う。
*従来の役所的な用事があるときだけ利用する非日常的な施設ではなく、用事がなくてもつい立ち寄りたくなる日常的な施設をめざす。
*従来の公共施設にありがちな冷たさ・堅苦しさは排除し、あたたかい雰囲気をもった施設にする。

 具体的には、以下の点が施設の図面やその後の運営に大きく反映されました。
*玄関は一つにして、診療所の患者も、乳幼児健診に来る人も、健康教室に来る人もみんなが自然に交流するようにする。
*デイサービス利用者も、当然、正面玄関から堂々と入っていただき、他の住民や職員と顔をあわせあいさつできる関係にする。デイサービス室にバスを横付けして人の目に触れさせないようなことはしない。
*公共施設の事務所は入口の横にあるのが普通だが、監視されているようで住民にとって利用しにくい雰囲気になってしまう。そこで、事務所は奥に配置し、利用頻度の高い多目的ルームを玄関横に置く。
*館内の清掃を知的障害者の授産施設に委託し、日常から障害者との関わりをもつようにする。
 
 障害や病気の有無にかかわらず、全世代の人たちに自分の家のように使ってもらい、住民とスタッフがいっしょになって育てていく施設でありたいと、その当時も今も願っています。

<ところで、だれを最初に風呂に入れる?>
 村の保健・医療・福祉の関係者が集まって協議した結果、デイサービスを開始することになったものの、非常に難しい問題が飛び出しました。いったい第1号のデイサービス利用者はだれなのか?今から15年前の出来事です――。

<「第1号」に失敗は許されない>
 本来なら、寝たきりで何年も風呂につかっていない人をデイサービスに迎え入れたいのです。しかし、予行演習はしても実績がないため自信がありません。こちらが勧めても本人から拒否されることもありえます。もともと銭湯のなかったこの村では、肌を他人に見せることだけでも抵抗があるのです。
 第1号で、失敗は絶対に許されません。一度失敗したら、せっかく盛り上がったスタッフの気持ちが萎えてしまいます。
 まずは候補者選びです。私と看護師、保健師で相談を始めました。重度の障害で寝たきりの方から、比較的元気だけどひとり暮らしの方まで、数名の候補者を選びました。
 話し合っているうちに、デイサービス利用者第1号の条件が出そろってきました。
(1)障害の程度が比較的軽症であること。
(2)感謝してくれそうな人であること。
(3)話し好きで近所の人とコミュニケーションがとれていること。
 この3条件です。(1)はスタッフの負担を軽くするため、(2)はスタッフに自信をつけてもらうため、(3)はデイサービスの良さを口コミで伝えてもらうため、という目的からです。ちょうどこの条件に合うのが、82歳の女性・南あや(仮名)さんでした。

<両手を合わせて喜んでくれたあやさん>
 あやさんは、身寄りのないひとり暮らしの方です。左目が義眼で、右目の視力も衰えてきており、自宅での入浴が困難になっていました。いつも、診察の終わり際に、両手をこすり合わせて「先生、このおばあをまた診てくださいね」と言って帰っていく方です。
 ホームヘルプでの自宅入浴も考えましたが、あやさん宅の浴室は狭く、うちの大柄なヘルパーとでは、浴室に入りきれません。こんな理由で、第1号は選ばれました。
 いよいよデイサービス初日。緊張するスタッフとは裏腹に、あやさんはご機嫌でやってきました。「ありがたいのー、風呂に入れてくれるなんて」とにこやかに話しながら。
 寝たきり老人を想定して練習してきた介護職員にとって、あやさんを入浴させることは「楽勝」でした。ひととおりサービスが終わったあとであやさんは、診察室と同じように両手をすりあわせ、拝むようにして介護職員に感謝しました。「ありがとうね。今日はいいお風呂でうれしかった。またお風呂に入れてちょうだいね」
 やったー、期待どおり! あやさんは喜んでくれ、介護職員は感激していました。その後、あやさんは、この日のことを近所の人たちにうまく伝えてくれて、デイサービスの評判は広まっていきました。まもなく、それを聞きつけた女性が「うちのおばあちゃんも風呂にいれてほしい」と申請してきたのです。

<3年ぶりの風呂に満足して逝ったすみえさん>
 デイサービス利用者第2号候補は、寝たきりで3年間風呂につかっていなかった92歳の女性、角すみえ(仮名)さんです。「死ぬまでに一度でいいから風呂に入りたい」と本人は訴えていました。
 超高齢で長年寝たきりのすみえさんを第2号として選ぶにはかなり勇気が必要でした。しかし、すみえさんの場合「死ぬまでに……」の期日はまちがいなく迫っています。本人と家族の強い要望で、看護師が立ち会うことを条件にデイサービス第2号となりました。
 当日、診療所から看護師を老人福祉センターに派遣して、すみえさんのデイサービスとなりました。福祉バスのストレッチャーに乗ったすみえさんが運ばれます。介護職員はかなり気合いが入っていましたが、それが空回りするほどスムーズに入浴介助は行なわれ、無事デイサービスは終了しました。
 驚いたことがひとつあります。長いあいだ入浴していなかった人が浴槽に入ると、どうなると思いますか? 湯船が垢まみれになるのは、せいぜい数週間風呂に入っていない人の場合です。数年間も入っていない人は、まるで足の型枠がはずれるように脱皮するんですよ。ホント驚きました。
 「気持ちよかったー。死ぬまでに一度風呂につかりたかったんや」。満足そうな笑顔でした。最初のデイサービスから数カ月後、すみえさんはあの世に旅立たれました。

<デイサービスのボランティアグループ結成>
 デイサービスを開始したこの時期に同時進行していたのが、一般住民対象の「在宅ケア講座」です。私や保健師が介護技術や家庭医学の話をしながら、家庭で介護を抱え込まないような雰囲気作りをしてきました。
 最初は80人もの参加者がいたこの講座も、会を重ねるごとに人数は減り、11回目を迎えたときは20人程度となっていました。これを最後の回にしようとしたところ、参加者からこんな声があがりました。
「中村先生! もう先生の話は聞き飽きたから、今度は実践したいんですよ、私たちは」
 なんと最後まで残った参加者たちは、ボランティアとしてデイサービスに協力したいと言ってきたのです。長くこの地で働いてきた中でも、もっともうれしい場面でした。
 デイサービスでの調理の手伝いや、入浴前後の着替えの介助などを行なうこのボランティアグループは、「やすらぎ会」と名づけられました。会員数は50名前後で、現在、活動歴は15年になります。4年前には、初代会長・山本幸子さんから二代目会長・森口敏江さんに受け継がれ、ボランティアの世代交代も順調にすすんでいます。少数ではありますが、男性ボランティアの参加もちらほら出てきました。
 地域全体で介護する雰囲気が、この地域を支えています。自然な形でボランティアとして人を介護し、老いて自分が介護される番になったら自然な形でそれを受け入れる。「お互い様」の精神で支え合う流れが今後も続いてほしいと願います。
 ところで、在宅ケアに対する私たちの取り組みが数値になって評価されたのは、デイサービス開始のずーっと後の平成11年、そう、介護保険制度導入前のことでした。
 ちょうどこの年は、保健医療福祉総合施設「あっとほ~むいきいき館」がオープンした年です。このあたりの話は次回に。

<裸のつきあいは難しい?>
 村役場の住民福祉課長が偶然においしい補助金でゲットしてきた福祉バス。これを「どうやって利用しようか?」と相談に来たついでに、「健康と福祉を考える会」を立ち上げちゃいました。私が名田庄診療所に赴任して間もない、いまから17年前のことです。
 村の保健・医療・福祉の関係者が集まって、第1回目の会合を開いたら、いろんな意見が出るわ出るわ。その勢いで「せっかくいいバスがあるんだから、寝たきりのお年寄りをお風呂に入れる『デイサービス』を始めよう」という結論になったのです。
 しかし、そのデイサービス、簡単には始められません。なにせ、だれも経験者はいませんし、「お風呂に入れている最中にもしものことがあったら、だれが責任を取るんだ」という意見も出ました。
 そもそも、この名田庄村には銭湯なるものが存在しません。ずーっと前から、他人どうしがいっしょに風呂に入る風習がなかったのです。日頃から地域の付き合いが濃厚で、お互いの絆が強い「裸のつきあい」をしているにもかかわらず、本当の「裸のつきあい」はしていなかったことになります。
 そのような事情もあり、「デイサービスやっても、わざわざ風呂に入りに来る年寄りなんかいないぞ」という冷ややかな意見もありました。
 それでも私の中では、「体は拭いてもらっているけど、湯船には1年以上浸かっていない」という寝たきりの方を往診で診るたびに、なんとかしたいという気持ちが強まっていました。

<社協局長が一肌脱ぐ>
 一方、福祉バスをゲットしてきた住民福祉課長の思いは、それどころではありません。有効利用しなければ、たとえ補助金付きとはいえ、無駄遣いだと議会で叩かれてしまいます。みんなの前で課長は言いました。
 「とにかくやりましょう! やるしかないんです!」
 しかし、勢いで始めるには少々無理があります。経験もないのに、いきなり虚弱な寝たきり高齢者を入浴させるのは危険です。そこで私が提案しました。
 「みなさん、どうでしょうか? このメンバーのなかのだれかが水着になって、手足を縄でくくって、片麻痺のお年寄り役になってもらいましょう。一度、練習してみましょうよ。僕がビデオで撮りますから、あとでそれを見て、考え直しましょうよ」
 すると、社会福祉協議会の事務局長(社協局長)が間髪入れずに応えたのです。
 「それなら私が一肌脱ぎましょう! お役に立てるならッ、海パン1枚になりますよ。ガッハッハッ」
 当初私は、役場の新人男子職員がこの役に適していると考えていました。女子職員で志願する人がいたら止めはしませんが、できたらご遠慮願いたい年齢の方々でした。(おこられるかな?)あとになって知ったことですが、この局長、実は肉体自慢の方で、脱ぐのがけっこう好きなようです。でも、酔って公園で全裸になるような人ではありません。

<入浴介助のチェックポイント、服の脱がせ方、着せ方、お湯の温度>
 とにもかくにも、社協局長を海パン一枚にし、手足をしばって片麻痺老人に見立てた入浴サービスの予行練習を行なうことになりました。やがて生まれてくる子どものために買ったばかりの8ミリビデオを、成り行きとはいえ、まさか縄で縛られた海パン1枚のオッサンの撮影に使うことになろうとは思いませんでした。トホホ……。
 数日後に行なわれた入浴サービスの予行練習会には、健康と福祉を考える会のメンバー全員がそろいました。
 実際のデイサービスを想定した練習ですから、お迎えから始めました。福祉バス「ふれあい号」でご自宅にお迎えにあがり、老人福祉センターまで運びます。そして、バスの項部に備わったリフトで、車椅子に乗った片麻痺老人役の社協局長を降ろす。次に、車椅子を押して、センターの室内に入ってもらい、保健師と看護師が体調を問診し、血圧・脈拍・体温等をチェックします。ここまでは順調、順調。いい感じです。
 さて、いよいよ入浴です。年齢を感じさせない肉体を誇る社協局長の体は、たしかに筋肉質で立派でした。いやいや、そんなことはどうでもよくて……。
 服を脱がせる順序のチェックも入ります。脱がせるときは健側から、着させるときは麻痺側から。介護の基本です。
 海パン1枚になった局長に、新米の介護職員がまずシャワーをかけました。
介護職員「ほな、シャワーかけますよ。」
社協局長「うわっちっち! なにするんじゃー!!」
 介護職員は自分の好みの温度でシャワーをかけたのです。親切心で。この介護職員はとても熱好きでしたが、社協局長はぬる好きなのです。個人の好みでお湯をかけてはいけませんね。
 お湯をかけるときには、まずは熱いのが好きかぬるいのが好きか、好みをたずねて、それから足元から徐々に上のほうにお湯をかけていく。あたりまえと言えばあたりまえなのですが、未経験だからわからないんですね。最初のお湯のかけ方をクリアしたら、あとの入浴介助は上手でした。新米といえども、さすがに勉強していましたね。

<で、だれを最初に入れる?>
 とりあえず一通り終わったあとで、反省会を開きました。いえ「反省会」という呼び方はしょぼいので、「発展会」にしようということになりました。前向きでいい感じです。
 録画したビデオを見ながら、あーでもないこーでもないと、みんなで議論しました。重症の利用者のときは診療所の看護師が応援に行くこと、湯冷めしないような工夫をすること、入浴前後に水分摂取を忘れないこと、浴室で不便な箇所の改修費用は、課長が次の補正予算で計上すること、などが確認されました。
 とってもいい雰囲気の中、入浴サービス予行練習会は終わりに近づいてきました。そのときです。
 「ところで、だれを最初に風呂に入れるんだい?」
 予行練習から、一瞬にして現実に引き戻されました。非常に痛いところをついた意見が飛び出しました。それまでのいい雰囲気がいっきに寒くなるような瞬間でした。
 第1号のデイサービス利用者はだれにするのか? もともとニーズのなかったところを掘り起こす作業が始まります。 (つづく)

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