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Author:natasho
国民健康保険 名田庄診療所
中村伸一


施設名称 :
国民健康保険名田庄診療所
開設年月 : 1955年7月
所在地 :
福井県大飯郡おおい町名田庄下6-1
管理者 : 所長 中村伸一
診療科目 :
内科、胃腸科、消化器科、アレルギー科、小児科、外科、整形外科、皮膚科
併設施設 :
「あっとほ~むいきいき館」内に、診療所のほか、歯科診療所、訪問・通所介護事業所、国保総合保健施設、住民のための多目的室、町役場の支所などを併設。



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 本邦初の地域医療学の教科書「地域医療テキスト」が、医学書院から出版されました。
 私はこの教科書の編集から関わり、巻頭「ある地域医師の1日」と第?章「人々のライフサイクルに関わる地域医療」の執筆を担当しました。特に第?章には力を入れました。
 この章は、大浜市名田荘地区という架空の地域を設定し、卒後20年目のベテラン医師のもとに派遣された卒後4年目の後期研修医が、1年間の医療活動を通じて、地域で人々のライフサイクルに関わっていることを実感していくストーリー仕立てとなっています。
 大浜市名田荘地区のモデルは、もちろんおおい町名田庄地区(旧名田庄村)であり、卒後20年目の医師は今の自分、卒後4年目の医師は昔の自分がモデルです。つまり、今の自分のところに若い頃の自分が来たら、どう接していくのだろうか。。という設定で書きました。とってもリアルなストーリーです。
 医学生、研修医はもちろんのこと、現場で活躍中の地域医療の実践家や指導医にとっても、読みごたえのある教科書です。
 しかも、コ・メディカルの方や医療従事者以外の方が読んでも、面白い内容になっています。
 以下の医学書院のHPをご参照ください。
 
  http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=62941

 医者になってたかだか3年目で、たった一人しか医者がいない名田庄村の診療所所長になった私。懸命にもがきながら、村の人たちと向き合う毎日。
 耳はいいけどボケたじい様と、耳は遠いけどしっかり者のばあ様が、微妙なバランスでギリギリ生活している老夫婦。脳卒中で緊急入院したものの、寝たきり状態のまま退院し、その後は、家族が病院に薬を取りに行っていたケース。長年寝たきりで、家族の力では風呂に入れることができず、なんと三年間入浴していなかった方。
 あーー、医療の限界! このような問題の解決方法は医学の教科書に載っていません。「どうやら診療所の医者と看護師だけでは、こんな方たちを支えきれないなー」と実感していたころ、どこからか風が吹いてきました。

<行政と福祉のベテランにはめられた!?>
 平成3年10月のある日のこと。当時の村役場の住民福祉課長が、社会福祉協議会(以下、社協)事務局長といっしょに診療所にやってきました。その理由は、なんとも妙な相談でした。
 住民福祉課長が、競艇の補助金で福祉バスをゲットできたというのです。その福祉バスは13人乗りで、車椅子やストレッチャーでもリフトで上げて乗れるようになる、非常に優れた福祉用の車両でした。
 それにしても変ですよね。まず、必要性を考えてから、物を購入するのがスジです。でもこのような補助制度での福祉バスは、早く手を挙げないとよそに取られてしまので、とりあえずゲットしたというのが実情です。
住民福祉課長「いやー、中村先生。忙しいのに申しわけない。じつは、福祉バスっちゅーのをこのたび買いまして、なんかえー利用方法はないもんですかいのー?」
私(中村)「これを機会に、福祉バスの有効利用だけじゃなくて、お年寄りを支えるしくみづくりをみんなで話し合いましょうよ」
社協事務局長「えーですなー。それでは、中村先生を会長にして、みんなで話合う機会をつくりましょうよ」
私(中村)「なんですとー!?」
 定年間近の住民福祉課長は行政のベテランで、社協事務局長は福祉畑のベテラン。たかだか医者3年目でよそ者の私など、人生経験では足元にもおよびません。その私を会長にして、村の保健・医療・福祉の関係者をみんな集めて話し合おうと言うのです。私は「そんな機会があればいいな」と思っただけで、自分が中心になろうとは思ってもみませんでした。
 今考えると、この古狸たち(と言っては失礼か?)にはめられたような気がします。
 そうです。このような多職種の集まりで、いちばん煙たがられるのが医者なのです。そんな医者でも、自分が中心ならば、わがままも言えないし、まとめなきゃいけないから医者自身が周囲に気を遣わなければならない。うまく、やられちゃいました。

<まずは会の名前を決めましょう>
 数日後、診療所からは医師(私)・看護師・事務員が、役場住民福祉課からは課長・保健師・福祉担当者・保健担当事務職らが、社協からは事務局長・保健師・ヘルパー・事務職員が集まりました。
 どうやって切り出したらいいのか、私は考えあぐねていました。
 別々の部署から集まってきて、「さぁ、話し合いなさい」と言ってもそうそう意見は出てこないのがあたり前。意見を言う人は言うけど、気が小さい人は発言しない。いったいどうしたらいいのか?
 そこで最初に、同じ部署の人が重ならないように4人ずつのグループに分けました。各グループで話し合ってもらったのが、会の名称についてでした。
私(中村)「みなさん、せっかく集まったんだから、これからみんなで村のために何ができるか話し合いましょう。まず、会の名前を決めちゃいましょう。この会をどんな会にしたいのか、それを踏まえて各グループでキーワードを出してください」
 この一言で、いっせいにグループでの話し合いがはじまった。4人程度の小グループだと、全員が参加しての話し合いになるので、だれも人ごとのような顔はしていません。
「これからは高齢化が進むし、福祉の時代だろう!」
「あんまりしょぼくれた暗いことばは嫌やな。元気か健康はどうや」
「この村で最期、死ぬときにいい人生やったと思えたらええな」
「いきなり大きなことはできんけど、とりあえず知恵を出し合って考えようや」
 いろいろな意見が飛び交い、なかなか収拾がつかないくらい話し合いは熱を帯びてきました。最終的にこの会の名前は「健康と福祉を考える会」となりました。家で最期を迎えられる村づくりの第一歩でした。

<お年寄りと元気な人たちのふれあいを乗せて>
 ところで、福祉バスの件はどうなったか? 
 実は、この話し合いのなかで、福祉バスをきっかけに「せっかくいいバスがあるんだから、寝たきりのお年寄りをお風呂に入れる『デイサービス』を始めよう」という結論になったのです。バス(Bus) 買っちゃったから、バス(Bath) に入れよう!ってな具合ですね。
 そうなんです。順序が逆なんですよ。ふつうは、デイサービスをやるからバスを買うんですよね。でも、うちの村の場合、バスを買ったからデイサービスを始めることになったのです。「できちゃった結婚」ならぬ、まさに「買っちゃたデイサービス」が私たちの出発点でした。
 さて、バスの名前も決めなければなりません。自分たちで考えるよりは、村の皆さんにアピールする目的もあり、公募で決めることになりました。
 その結果、ついた名前は「ふれあい号」。このバスを通じて、住民とスタッフが、寝たきりのお年寄りと元気な人たちが、みんながふれあうようにという思いが込められています。
 私個人としては、デイサービスを利用するお年寄りを迎えにいくバスだから、その機能通りに「お迎え号」というシンプルな名前を考えていました。しかし、他のメンバーからは「お年寄りに対して、『お迎え』は失礼ですよ。霊柩車じゃないんだから」と、ごもっともな理由で却下されてしまいました。トホホ……。
 さてさて、デイサービスの開始ですが、そう簡単にはいきません。なにせ、だれも経験者はいないし、「お風呂に入れている最中にもしものことがあったら、だれが責任を取るんだ」という意見も出ました。
 そこのところをどう乗り越えたか? それは次号で。
<未熟な医者の不安な診療所赴任>
 医者になって3年目の平成3年に、ここ名田庄診療所に赴任しました。現在はおおい町の一部となった旧名田庄村は、福井県の最南端に位置し、人口約3000人、高齢化率は当時すでに25%の山村です。名田庄診療所はこの村で唯一の医療機関。医師はもちろん私ひとりだけでした。
 医師免許取得後3年目の私が、医師ひとりだけの診療所で働くことは、経験が少なかったこともありたいへんなプレッシャーでした。
 田舎の診療所だと、特定の診療科を掲げていないので、どんな病気や怪我の患者さんが来るのか全く想定できません。わからないことがあっても、相談できる先輩医師は周囲にいません。今なら、インターネット検索もできるし、電子メールで他の医師に相談することも容易にできます。しかし当時は、そんな便利な世の中ではありません。毎日が不安の連続でした。
 でも、不安でどうしようもなくびびっている若い医者に診られる患者さんは、もっと不安だったでしょうね(笑)。よく耐えながらつきあってくださいました。
 不安は医者として新米だったからだけではありません。なんと私は、新婚1カ月もたたないうちに名田庄村にやってきたのです。そう、生活者としても新人だったわけです。病院での初期研修の仕事を整理し、新婚旅行から帰ってきたと思いきや、すぐに引っ越しとなりました。そんなわけで、私たち夫婦の名田庄村での最初の行動は、村役場への婚姻届の提出でした。
 私の出身地は三国町(現・坂井市)という福井県の最北部です。同じ福井県でも、ここ名田庄村とは全くの逆サイド。知り合いなどいるはずもなく、当時の診療所の事務長さん夫妻にお願いして証人になってもらい、無事、婚姻届を提出しました。これでめでたく、私たちは法律上も夫婦となり、村民になることができました。

<「家」への思いのある村>
 でも、不安ばかりだったわけではありません。不安をはるかに上まわる「燃料満タンのやる気」もあったんです。
 自分ひとりしかいないということは、逆に考えると、なんでも自分の思うようにやっていいということになります。そうです。ここには口うるさい先輩医師や意地悪な古株看護師もいないのです。国民健康保険の直営診療所(村の公的診療所)ですから、村長が開設者であり私の上司ですが、医師は私ひとりで、かつ管理者なので、診療のすべては私の手のなかにあるのです。研修医時代に、いろいろな科で先輩医師や看護師と衝突する問題児であった私にとって、「好きにやっていいよ」という神の声(聴こえたような気がしたけど幻聴かな?)は、非常にありがたくもありました。
 重い責任と同時に自由な権限を手に入れた私は、やる気は満タンになったものの、エンジン全開までには少々時間がかかりました。自分のエネルギーをどこに向けたらいいのかわからなかったのです。しばらくは充電の日々でした。
 3カ月くらい過ぎた頃、この村の特徴に気づきはじめました。まず一つは、屋号で呼び合う風習が残っていること。同じ名字でも親戚関係はなかったり、嫁にいくと名字が変わって出身地区がわからなくなったりしますが、屋号で「どこそこの出です」と言えば、みなさん「おー、そこの出かい」で話が通じます。こちらにとってはチンプンカンプンですが、それだけ家のつながりを大切にしている証拠です。
 また「家で死にたい」と望むお年寄りが非常に多いとも感じました。今でも九割以上の方がそう願っていると思います。そして家族のほうも「できることなら家で看取りたい」と思っているのです。都会でマンション生活を送っている人には想像がつかないくらい、家に対する強い思いを村の人たちはもっています。

<やる気が空回り――忘れられない患者さんたち>
 この赴任間もない時期に、往診で出会った何人かの患者さんたちが今でも忘れられません。耳はいいけどボケたじい様と、耳は遠いけどしっかり者のばあ様の二人暮らし世帯。お互いの弱点を埋め合ってギリギリで生活しています。もしもどちらかが病に倒れたら、二人の家庭生活は一気に困難な状況に陥ってしまいます。
 また、脳卒中になり救急車運ばれ緊急入院。その後、寝たきり状態のまま退院したが、病院からの往診は当然なし。家族が病院に薬だけ取りに行っていたケース。発熱で診療所に往診依頼があり、お宅に行ってみたところ、ふつうの風邪でした。薬を出したあと、「今後は定期的にこちらで診ましょうか?」と切り出してみましたが、「いざというときは病院に頼みたいのでけっこうです」と断られてしまった。トホホ……。
 長年寝たきりで、介護する家族の力では風呂に入れなくなってから、なんと三年間も入浴していなかったという方もいました。何か病気があったわけではなく、老衰のような感じでの寝たきりだったので、どの医者にもかかっていない。「腰のあたりに黒いものができている」とのことで往診依頼。「悪性腫瘍か?」と緊張しながら患者宅に行って診てみると、そこには大きな床ずれ(褥瘡)が! 処置後に「今度はいつ来ましょうかね?」と尋ねると、「困ったことがあったら連絡するので、それまではけっこうです」との返事。来るなといわれりゃ、行くことはできない。

<医療だけで解決しなくてもいい>
 こんな方たちを診ているうちに、医療だけで対応することの限界を感じてきました。医者のやることは、診察し診断して薬を出すだけ。しかも、有料の割に短時間。呼ばれりゃ行くけど、呼ばれなきゃ行けない。病気は診られるけど、生活面をみることはない。実際、新婚で若造の医者には、介護の苦労や嫁姑関係の奥深さなど理解できるわけがありません。
 村の人たちの家に対する思いが強いのはわかるけど、あまりに自分たちだけでお年寄りを囲い込みすぎるのです。責任感が強すぎて、「うちの年寄りをよそ様に看てもらうのは家の恥だ」とでも言わんばかりに。
 はーぁ、医療の限界……。
 ちょっと待てよ。何も医療関係者だけで解決しなくてもいいんじゃないかな! そう気づくまでに、それほど時間はかかりませんでした。
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