<「とうとうそのときが来ましたか」>
毎年、終戦記念日になると思い出すのが、シベリアに抑留された経験をもつYさんの最期でした。
Yさんとの最初の出会いは、平成7年の晩秋でした。軽い腹部の不快感と全身のだるさを訴えて、診療所の外来を受診されました。
よく診ると、眼球の白い部分が少し黄色っぽくみえます。黄疸(体内に胆汁がたまり皮膚が黄色くなる状態)を疑い、腹部エコーをしたところ、膵臓癌でした。
放置すると黄疸が悪化して大変なことになりますので、入院治療が必要です。
すぐにも入院が必要だったため、その場でYさんご本人に告知しました。すると、Yさんは不思議なくらいサバサバした表情で「とうとうそのときが来ましたか」と言われたのが印象的でした。このときの私には、その意味がわかりませんでした。
<シベリアでの抑留体験>
それにしても膵臓癌というのは、なかなかやっかいな病気です。進行するまで症状が出にくく、胃の裏側にあるため検査でもわかりにくい上に、治療は困難を極めます。手術しても抗癌剤でも完全に治すことはほとんど不可能です。ただし、金属製のステント(筒状にふくらむ医療器具)を胆管に入れることで黄疸を減らせば、その後しばらくは楽に暮らせます。
入院して精密検査をした結果、癌はかなり進行していたため、すでに手術はできない状態だと判明しました。癌そのものは治療しませんでしたが、金属製ステントを胆管に挿入することで黄疸は減りました。入院から1ヶ月もたたないうちに自宅に戻ってこられました。
自宅に戻ってからは、こちらかYさん宅のお宅に訪問診療に行くことになりました。退院当初、Yさんの顔色はよく、食欲も旺盛で、とても病人には見えないくらいでした。診察室では寡黙なYさんも、ご自宅ではリラックスしておられ、いろいろな世間話をしました。そのうちにYさんはシベリアでの抑留経験を話してくれるようになりました。
「とにかく寒くて寒くて大変だった。生きている心地がしなかった。朝起きると、誰かが死んでいる。その次の朝起きると、また誰かが死んでいる。明日は自分かもしれないという怖さと、朝目覚めて生きていることに感謝する気持ちが入り交じっていた。日本に戻りたい一心で、一日一日を耐え忍んできた。」
<麻薬の使用を拒否>
膵臓癌という病気の性質上、徐々に様々な症状が出てきます。初診から2ヶ月経ったころには、背中の痛みが出てきました。それでもこの時点では、普通の鎮痛剤で治まる程度でした。ところが3ヶ月後になると、痛みはいっそう激しくなり、普通の鎮痛剤では治まらなくなりました。
私はYさんに麻薬を使うことを強くすすめました。末期癌の痛みに対しては、積極的に麻薬を使用し、痛みを緩和するのが基本です。当然ながら、医師として通常のやり方をすすめました。しかし、Yさんはそれを頑に麻薬を拒否しつづけました。その理由は、私には想像もできないような、抑留経験に基づくものでした。
「わしは今まで生きてこられて幸せやった。しかも、癌なんていう自分の体からできた病気で死ねるなんて、こんな幸せなことはない。このくらいの痛みに耐えないと、シベリアで死んでいった仲間に申し訳ない。」
まるで、痛みに耐えることが、死んだ戦友への供養だとでもいわんばかりに、修行僧のように痛みに耐えつづけました。
<魂の痛みからの解放>
癌の末期は痛みとの戦いです。専門書を読むと、その痛みには(1)体の痛み、(2)心の痛み、(4)社会的痛み(3)魂の痛みがあると書かれています。
四番目の魂の痛み(スピリチュアルペイン)というのは、欧米人の宗教観に基づく概念であり、日本人にはなかなか理解できないともいわれ、実は私にもよく理解できません。
ですが、Yさんの場合は、なんとなくわかるような気がします。
つまり、Yさんは末期の癌になる前に、極寒のシベリアに抑留されたという極限状況の中で、様々な痛みを経験しています。
戦争体験者の多くが語る「自分だけ助かって申し訳ない」という感情があったに違いありません。このことがYさんにとっての「魂の痛み」であり、しかもそれが長くご自分の心の中に閉じ込められていたのではないでしょうか。
シベリアで日々死を覚悟してきたYさんにとって、癌になったのは人生で二度目の極限状況です。だからこそ、癌を告知したときも「とうとうそのときが来た」と、当然のごとく受け止める覚悟ができていたのでしょう。
痛みがひどくなってからは、自らの体の痛みに耐えることで、亡くなった戦友に対する長年閉じ込められてきた魂の痛みを緩和していたのではないかと思うのです。
最初の診察から4ヶ月後、生まれ育ち住み慣れた自宅で、息を引きとられました。魂と体、両方の痛みとの戦いから解放され、Yさんの戦争は終わり、亡くなった戦友の元へと旅立たれました。