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Author:natasho
国民健康保険 名田庄診療所
中村伸一


施設名称 :
国民健康保険名田庄診療所
開設年月 : 1955年7月
所在地 :
福井県大飯郡おおい町名田庄下6-1
管理者 : 所長 中村伸一
診療科目 :
内科、胃腸科、消化器科、アレルギー科、小児科、外科、整形外科、皮膚科
併設施設 :
「あっとほ〜むいきいき館」内に、診療所のほか、歯科診療所、訪問・通所介護事業所、国保総合保健施設、住民のための多目的室、町役場の支所などを併設。



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平成21年10月27日(火)22時〜、「プロフェッショナル仕事の流儀」の再放送が決定しました。

 今回は、前回(1月13日)よりも4分間長い番組となっています。よーく視ると、前回との違いがわかるかもしれません。おそらく、スタジオ収録分が追加されたのではないかと想像します。

 どこがどう違っているのか?、当日の放映を私も楽しみにしています。
<「とうとうそのときが来ましたか」>
 毎年、終戦記念日になると思い出すのが、シベリアに抑留された経験をもつYさんの最期でした。
 Yさんとの最初の出会いは、平成7年の晩秋でした。軽い腹部の不快感と全身のだるさを訴えて、診療所の外来を受診されました。  
 よく診ると、眼球の白い部分が少し黄色っぽくみえます。黄疸(体内に胆汁がたまり皮膚が黄色くなる状態)を疑い、腹部エコーをしたところ、膵臓癌でした。
 放置すると黄疸が悪化して大変なことになりますので、入院治療が必要です。
 すぐにも入院が必要だったため、その場でYさんご本人に告知しました。すると、Yさんは不思議なくらいサバサバした表情で「とうとうそのときが来ましたか」と言われたのが印象的でした。このときの私には、その意味がわかりませんでした。
<シベリアでの抑留体験>
 それにしても膵臓癌というのは、なかなかやっかいな病気です。進行するまで症状が出にくく、胃の裏側にあるため検査でもわかりにくい上に、治療は困難を極めます。手術しても抗癌剤でも完全に治すことはほとんど不可能です。ただし、金属製のステント(筒状にふくらむ医療器具)を胆管に入れることで黄疸を減らせば、その後しばらくは楽に暮らせます。
 入院して精密検査をした結果、癌はかなり進行していたため、すでに手術はできない状態だと判明しました。癌そのものは治療しませんでしたが、金属製ステントを胆管に挿入することで黄疸は減りました。入院から1ヶ月もたたないうちに自宅に戻ってこられました。
 自宅に戻ってからは、こちらかYさん宅のお宅に訪問診療に行くことになりました。退院当初、Yさんの顔色はよく、食欲も旺盛で、とても病人には見えないくらいでした。診察室では寡黙なYさんも、ご自宅ではリラックスしておられ、いろいろな世間話をしました。そのうちにYさんはシベリアでの抑留経験を話してくれるようになりました。
「とにかく寒くて寒くて大変だった。生きている心地がしなかった。朝起きると、誰かが死んでいる。その次の朝起きると、また誰かが死んでいる。明日は自分かもしれないという怖さと、朝目覚めて生きていることに感謝する気持ちが入り交じっていた。日本に戻りたい一心で、一日一日を耐え忍んできた。」
<麻薬の使用を拒否>
 膵臓癌という病気の性質上、徐々に様々な症状が出てきます。初診から2ヶ月経ったころには、背中の痛みが出てきました。それでもこの時点では、普通の鎮痛剤で治まる程度でした。ところが3ヶ月後になると、痛みはいっそう激しくなり、普通の鎮痛剤では治まらなくなりました。
 私はYさんに麻薬を使うことを強くすすめました。末期癌の痛みに対しては、積極的に麻薬を使用し、痛みを緩和するのが基本です。当然ながら、医師として通常のやり方をすすめました。しかし、Yさんはそれを頑に麻薬を拒否しつづけました。その理由は、私には想像もできないような、抑留経験に基づくものでした。
「わしは今まで生きてこられて幸せやった。しかも、癌なんていう自分の体からできた病気で死ねるなんて、こんな幸せなことはない。このくらいの痛みに耐えないと、シベリアで死んでいった仲間に申し訳ない。」
 まるで、痛みに耐えることが、死んだ戦友への供養だとでもいわんばかりに、修行僧のように痛みに耐えつづけました。
<魂の痛みからの解放>
 癌の末期は痛みとの戦いです。専門書を読むと、その痛みには(1)体の痛み、(2)心の痛み、(4)社会的痛み(3)魂の痛みがあると書かれています。
 四番目の魂の痛み(スピリチュアルペイン)というのは、欧米人の宗教観に基づく概念であり、日本人にはなかなか理解できないともいわれ、実は私にもよく理解できません。
 ですが、Yさんの場合は、なんとなくわかるような気がします。 
 つまり、Yさんは末期の癌になる前に、極寒のシベリアに抑留されたという極限状況の中で、様々な痛みを経験しています。
 戦争体験者の多くが語る「自分だけ助かって申し訳ない」という感情があったに違いありません。このことがYさんにとっての「魂の痛み」であり、しかもそれが長くご自分の心の中に閉じ込められていたのではないでしょうか。
 シベリアで日々死を覚悟してきたYさんにとって、癌になったのは人生で二度目の極限状況です。だからこそ、癌を告知したときも「とうとうそのときが来た」と、当然のごとく受け止める覚悟ができていたのでしょう。
 痛みがひどくなってからは、自らの体の痛みに耐えることで、亡くなった戦友に対する長年閉じ込められてきた魂の痛みを緩和していたのではないかと思うのです。  
 最初の診察から4ヶ月後、生まれ育ち住み慣れた自宅で、息を引きとられました。魂と体、両方の痛みとの戦いから解放され、Yさんの戦争は終わり、亡くなった戦友の元へと旅立たれました。
 この2〜3ヶ月のスケジュールです。12月初旬に過労死しないように、体を鍛えています。

 8月29日(土) 宮崎県プライマリ・ケア研究会 講師
 9月18日(金) 熊本大学医療コンフリクト・マネジメントセミナー 講師
 9月19日(土) 臨床栄養学会(神戸)特別企画講演 講師
 9月26日(土) 健康学習学会(さいたま)セッション・ディレクター
10月 2日(金) 全国国保地域医療学会(仙台)ランチョンセミナー講師
10月 3日(土) 全国国保地域医療学会(仙台)シンポジウム 助言者
10月10日(土) 第1回福井県介護支援専門員研修会 講師
10月16日(金) ファイザーヘルスリサーチワークショップ幹事会 参加
10月17日(土) 自治医科大学臨床講師研修会(栃木)参加
10月18日(日) 第2回福井県介護支援専門員研修会 講師
10月24日(土) 福井県地域医療学術集会 参加
10月30日(金) 厚労省 へき地保健医療計画検討委員会(東京)参加
10月31日(土) 鯖江市看護協会講演会 講師
11月 7日(土) 石川県介護支援専門員協会 講師
11月 8日(日) 家庭医療学会ワークショップ 講師
11月13日(金) 全国国保診療施設協議会 都道府県支部長会議 出席
11月14日(土) 北海道医療大学同窓会 20周年記念講演 講師
11月21日(土) 福井県医療連携フォーラム 基調講演 講師
11月22日(日) 滋賀県国保診療施設協議会 特別講演 講師
11月27日(金) 和歌山県国保診療施設協議会 特別講演 講師
11月28日(土) 福井県国保診療施設協議会 医師研修会 参加
11月29日(日) 福井県国保診療施設協議会・国保連 職員合同研修会 参加
12月 5日(土) 元気の素(大阪) 講演会 講師

 このブログを見ている方、どこかでお会いしましたら、声をかけてください。
<雪の降る朝、タネさんを襲った病>
 世の中には我慢強い人とそうでない人がいます。東谷タネさん(89歳・女性)は、笑顔がすてきでユーモアのセンスにあふれ、だれからも好かれますが、非常に我慢強い人でした。
 そのタネさんが、早朝に襲われた我慢できない激しい痛みは「大動脈解離」という、命に関わるような大病によるものでした。若い人なら間違いなく手術するこの病気も、高齢で心臓が弱いタネさんにとっては非常に危険です。入院の上、安静にして血圧を下げ病状が安定するのを待つ治療になりました。
<せめてトイレは自分で行きたい>
 約1ヶ月後、タネさんは退院し、自宅に戻ってきました。病気は一段落しましたが、介護が必要な状態で戻ったことになります。
 以前は老人車を押してご近所を歩いていたタネさんは、全くの寝たきり状態でした。幸い我慢強くて意志の強いタネさんは、ボケることはいっさいありませんでした。ただ、ボケていないがために、羞恥心もプライドもしっかり残っていて、介護者であるお嫁さんに紙おむつの交換など下の世話をされるのを嫌いました。「せめてトイレは自分で行きたい」という意思が非常に強いのです。
 家に戻ってから1週間もたたないうちにタネさんは尋ねるのです。「先生、リハビリすれば、元のように歩けるかのー?」
 正直言って、返答に困りました。タネさんの場合、リハビリはそう簡単なことではないのです。「大動脈解離→血圧を下げ安静治療→寝たきり」というパターンで寝たきりになったため、「リハビリ→血圧上昇→大動脈破裂!」という最悪のパターンが容易に予測されるのです。
 大動脈解離の手術ができなかったため、爆弾を抱えながら生きているようなものですから、リハビリ中にその爆弾が爆発するかもしれない状況なのです。
<「爆弾」が破裂しても、本人の「歩きたい」という思いに応えるか?>
 本人の「再び歩きたい」という強い思いとは裏腹に、家族も悩んでいました。もしリハビリ中に大動脈が破裂したら後悔するだろうか?それとも寝たきりのまま生涯を閉じた方が後悔するだろうか?
 もちろんスタッフの意見もわかれました。2週間に一度開かれるケアカンファレンスでは、医師・看護師・保健師・ケアマネジャー・管理栄養士、デイサービス職員・ホームヘルパー・役場福祉担当者が集まり、議論したところ。。。
 「家族がどう言おうと、本人の意思を尊重すべきだ」
 「自分が担当するデイサービス中に破裂したら、どうしよう?」
 「僕が自分が同じ立場なら、歩こうとだろうなー。」
 「いや、私なら大人しく寝ているわ。」
 最終的には、遠方に嫁いだ看護師でもあるタネさんの娘さんの一言で決まりました。
 「おばあの好きなようにさせてやってください。その方がおばあらしいですから。」
 この一言があってから、スタッフの意見はリハビリする方向で一致しました。それでも不安がる職員に対して、私はこう話しました。
 「人はいずれ死にます。タネさんの場合は、大動脈が突然、破裂して死ぬ危険性が高いけれど、それがいつ起こるかはだれにもわからない。家で大人しく寝ていても起きるかもしれない。もしそれが、タネさんの大好きなデイサービス中だったら、たまたまそのタイミングで起こったというだけだから、それはそれでいいよね。」
 個々のスタッフは異なった視点を持ち、違った思いを持っていますが、おおむね同じ方向を目指さなければなりません。それぞれの方向がバラバラだと、利用者(患者)に対して充実したサービスとはならないのです。複数の漕ぎ手がバラバラな方向に漕いだら、舟がまっすぐに進まないのと同様です。
<「家の延長」としての施設>
 当施設あっとほ〜むいきいき館は、診療所・保健福祉センター・デイサービスセンターなどが一体化した、在宅療養を支援する保健医療福祉の総合施設です。その基本コンセプトは「家の延長」であり、「日常的に利用する施設」です。
 基本に立ち返れば、自宅と同じように使っていただきたい施設ですので、喜ばしいこともあれば、具合が悪くなることも、あるいはそこで死ぬこともあるかもしれません。それが人の日常生活なんですよね。何かあったら困るからお断りするようなお役所仕事をする所ではありません。村長から「公共の施設だけど、第2の役場にはしないでほしい」との思いをしっかり受け止めていた私は、訪問看護とデイサービス中のリハビリにゴーサインを出しました。
 リハビリ開始から1ヶ月後、タネさん本人の努力、家族の励まし、スタッフの熱意などにより、タネさんは再び歩いてトイレに行き、付き添いがあればご近所も散歩できるまでに回復しました。
<大病を乗り越え、ポックリ逝った大往生>
 大動脈解離で入院した日から2年ほど経ったある朝、ちょうど私が目覚めたころ、タネさんの息子さんから電話がありました。
 「朝、嫁さんが起こしにいったら、おばあが冷たくなっとった。」
 あわてて着替え、すぐにタネさん宅に向かいました。
 タネさんは、何事もなかったかのような安らかな表情で、その姿は息を引き取った後なのに、「おおー、みんな集まって、どないしたんや?」とでも言いそうにみえました。
 大病を乗り越え、元気なままでポックリ逝った大往生でした。
 最期まで歩き続け、最期は下の世話をしなくてもいい状態でこの世を去ったタネさん。いつも笑顔を振りまき、ユーモアで周囲を和まし癒してくれたタネさん。
 私たちは、あなたをお手本に生きていこうと思います。
 今から10年くらい前のこと、ある肺癌の患者さんを自宅で看取ったときのお話です。
 田中正志さん(78歳、会社経営)は、京都市内の病院に肺癌の末期状態で入院していました。ここ名田庄は、福井県でもっとも京都寄りに位置するため、京都市内の病院に入院する方も、少数ですがおられます。
 正志さんは、肺癌の発見から治療まで、ずっとその病院で受けていて、治療をやり尽くし末期の状態になってから、名田庄の自宅に帰ることとなったのです。
 病院の主治医から電話があり、これまでの経過と現状を聞きました。肺癌の末期で在宅酸素療法はセッティング済みであること、飲み薬の麻薬は十分量飲んでいるが今後も痛みが増えると予想されること、今はまだかろうじて歩くことができること、などでした。
 その中で私がもっとも驚き、しかも困ったのは、癌であることを本人に告知していないことでした。私の場合、ほとんどの患者さんにありのままを話します。しかし、前医が告知していないまま紹介されたケースでは、その後の告知に悩むこともあります。
 それと、もうひとつ大切なことがあります。なぜ、この段階で自宅に戻ろうとしたのか? という理由です。
 正志さんには近所のお寺を立派にするという長年の夢がありました。幼い頃に母親を亡くし、成長するにつれて仏門に傾倒するようになりました。本気で僧侶を目指そうとした時期もあったと聞いています。
 若い頃から会社を経営するようになり、いつのまにか正志さんはこのあたりでも指折りの資産家になっていました。会社も息子さんに譲り、悠々自適の老後を過ごしつつあったころ、近所のお寺の改修工事のために、多額の寄付をすることを決意しました。ちょうどその頃に病気がみつかったのです。
 寄付金をもとに工事の話はトントン拍子にすすみましたが、正志さんには病気との戦いの日々がつづきました。
 いよいよお寺の改修工事が最終段階にかかるころ、病状は日に日に悪くなっていきました。居ても立ってもいられなくなった正志さんは、ついに自宅に戻る決心をしたのです。肺癌の告知はされていなかったものの、日に日に悪化する病状に、我が身の最期を感じたに違いありません。
 正志さんが自宅に戻ったその日の往診で、私は肺癌であることを告知すべきかどうか、往診車のエンジンをかけハンドルを握ったときには、まだ決めかねていました。
 告知するのは私のやり方ですが、前の病院の医師も家族も、告知せずにうまく正志さんとの関係を築いてこられました。私が告知することで、これまでの関係性が崩れることを一番恐れたのです。
 結局、考えがまとまらないまま、正志さんの家の前に往診車は着いてしまいました。
 ゆっくりと家の中に入り、正志さんに初めて会いました。鼻から酸素を吸いながら、ベッドの端に腰掛けていました。呼吸苦がつづいたため、やつれた顔ではありますが、眼光は鋭く、いくつかの私からの質問にも大きな声で答えてくれました。
 型通りの診察を終えた後、迷ったあげくに、こんな質問をしてみました。
私「もしも今後、息苦しくなったり、痛みがひどくなったとしたら、また病院に戻りますか?」
正志さん「いや、何があっても、絶対に病院には戻らないよ!」
 その言葉に強い意志を感じ、私は右手を差し出しました。正志さんは私の右手を力強く握りしめ、堅い握手となりました。言葉はありません。でも、その中で。。。
正志さん「中村先生、最期まで頼んだよ」
私「わかりました、できるかぎりのことはやりましょう」
 そんな男と男の約束があったように感じました。これで「契約成立」です。
 今はインフォームド・コンセント(説明と同意)の時代です。検査するとき、手術を受けるとき、輸血するとき、あらゆる場面で丁寧な説明がなされ、細かなことが書かれた同意書を読んだ上で、患者側と医療側の双方がサインをします。このために膨大な時間が費やされ、山のような種類が積み上げられます。ひとつの医療行為に対して、副作用や合併症の危険性が次々と述べられ、患者側はどんどん不安になります。心から納得し同意したのではなく「儀式だから仕方なくサインした」なんてことも少なくありません。書類によるインフォームド・コンセントの根底には、患者側と医療側の相互不信があると言ったら言い過ぎでしょうか。
 正志さんと私の間には、書類らしき物はありませんし、言葉すらありません。けれども、あの握手以降、家族・スタッフを含めた私たちの関係は、問題がないどころか、非常に良好な状態で経過していきました。あたたかな信頼関係がベースにあったと思います。
 車椅子に乗ることができる間は、酸素ボンベを携帯しながら家族がお寺の工事現場につれだしていました。車椅子に乗れないほどに衰弱してからは、写真やビデオに工事の様子を撮影し、ベッドサイドで正志さんに見せていました。
 お寺の改修工事が完了し、その落成式の朝、正志さんは自宅で家族に囲まれながら、静かに息を引き取りました。
 久しぶりに更新します。
 もともと筆無精(PC無精?)のため、なかなか更新できませんでしたが、ようやく日常が戻ってきましたので、ボチボチ更新していきます。
 この3週間ほどは、本当に忙しかったなー。

6/27 健康学習学会全国集会の準備会(船橋)
       9/26〜9/27に行なわれる全国集会の準備会
6/28 武田薬品工業NPD研究会のモーニングワークショップの講師(お台場)
       朝早くからから医師相手にロールプレイを交えてのワークショップ
       休日の朝早くから参加された先生方、ありがとうございました
7/2  おおい町名田庄地区PTA主催講演会(おおい町名田庄地区)
       2900人の同地区で145人の集客
       2時間ぶっつづけの講演におつきあいいただき、ありがとうございました
7/4  3人の中村伸一 奇跡のシンクロニシティ・トークライブ(新宿)
       同姓同名というだけで四谷区民ホールを借りちゃっての講演会
       200名弱の方々が来られました
       やっていて、異常にテンションが上がりました!
       アドレナリン出まくり状態です!!
       中村伸一隊長(地球探検隊)、中村伸一所長(やまぐち総研)はステキな
       人たちでした エイチさん(ジーニアスファクトリー)、ありがとう!
7/5  あっとほ〜むデッいきいき祭
       毎年恒例の当施設あっとほ〜むいきいき館のイベント
7/7  関西医科大学 地域医療講義(枚方)
       学生時代(自治医科大学)の恩師、木原裕教授(現 関西医大物理学教授)
       招きで、大阪で初講義
7/10 厚生労働省 第11次へき地保健医療計画検討会(麹町)
       厚労省の会議に委員として出席(=初体験)
7/11 元気の素 リレーセミナー で講演(大阪市生野区)
       介護業界のカリスマ、上野文規さんの招きで実現 なんとこの方とは同郷
       前日の飲み会も含め、こちらが楽しませていただきました
       上野さん、高畑さん、下山さん、ありがとうございました
       丸山社長(メディコールジャパン)もありがとうございました
7/12 北陸三県国保地域医療学会(福井市)
       北陸三県で持ち回りで開催されている国保の診療施設の学会
       疲労はピークに達していましたが、内容の濃い演題が多く、テンションは
       高いまま終了しました
 
 今週は、落ち着いた日常に戻れそうです。ブログ、更新できるかな?(笑)
<中村伸一×3 奇跡のシンクロニシティ・トークライブ>
 いよいよ明日、この3人の中村伸一のトークライブがあります!おもしろい
企画で、もしかしたら、最初で最後の奇跡のライブになるかも!?
   中村伸一隊長(エクスプローラ) 地球探検隊隊長
   中村伸一所長(やまぐち総合研究所) ビジネスプロデューサー
   中村伸一院長(名田庄診療所) 医師

 日 時  7月4日(土)11時00分〜16時00分
 場 所  四谷区民ホール
 主 催  ジーニアスファクトリー株式会社 代表取締役 高城永地氏
 詳 細  http://www.genius-factory.jp/event/3sn/index.html
 
   11:05  主催者挨拶(5分)
   ---------------------------------------
   11:10  【隊長】講演(45分)
   ---------------------------------------
   11:55  お昼休憩(50分)
   ---------------------------------------
   12:45 【所長】講演(45分)
   ---------------------------------------
   13:30 【院長】講演(45分)
   ---------------------------------------
   小休止(10分)
   ---------------------------------------
   14:25  パネルディスカッション(80分)
        会場からの質問を3人の中村伸一が答えます!
   ---------------------------------------
   15:45  主催者、高城永地さん閉会挨拶(15分)
 近々、なんとも不思議なご縁で、東京と大阪で公演することになりました。よかったら聴きにきてください。 

平成21年7月4日(土)11時00分〜 四谷区民ホール
 <3人の中村伸一講演会> 
   http://www.genius-factory.jp/event/3sn/index_it.html
   http://www.aera-net.jp/magazine/naito/lovelog_re/090528_000886.html

平成21年7月11日(土)13時30分〜 特別養護老人ホーム 甍
 <元気の素 リレーセミナー>
   http://fungenki.jp/index2.html

 医学書院が発行する<週刊医学界新聞レジデント版>に載りました。Webでも公開されています。
 私と福井県済生会病院の研修医、笠松由佳先生がインタビューに答えています。地域医療を目指す、あるいは一度は地域医療を経験したいと思っている研修医の先生や学生さんはは、とにかく早い段階で地域に出ちゃってくださいね。
 まずは、自分の目で見て、感じることが大切です。

<週刊医学界新聞レジデント版>
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02833_01
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02833_02
http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=62941

 平成3年10月、福祉バスの購入という偶然のきっかけから結成された「健康と福祉を考える会」。村の保健・医療・福祉の関係者が集まって一致団結し、病弱で介護が必要なお年寄りを在宅で支えようと、次々と事業を展開。
 デイサービスの開始、訪問活動の計画化と効率化、ボランティアグループとの育成と協力、健康と福祉に関する集落座談会や各種イベント。。。徐々に「福祉の心」が広まればいいと思いながら実践していったのですが、潜在的なニーズがあったのか、比較的早い段階で「保健医療福祉の総合施設を建てよう」という運動にまで発展。
 住民も職員も参加した基本構想に長い月日が費やされ、ついには平成11年4月、保健医療福祉総合施設「あっとほ〜むいきいき館」のオープンとなりました。
 その翌年の平成12年4月から、いよいよ介護保険制度が開始となりました。あらかじめそれを予測した上で対応していたため、大きな混乱は生じず、介護保険制度はスムーズに導入されました。

 その間、実はおもしろいことがわかってきました。私たちの在宅ケアを支える活動が、数値的に評価されてきたのです。
 国民健康保険の医療費地域差指数は、各市町村が同じ人口構成であったと仮定した場合の一人当たりの医療費です。つまり、本質的な一人当たりの医療費といえます。私たちが連携して在宅ケアを支え始めた平成3年度は、福井県内35市町村のうち低い方から第17位でした。ところが、平成6年度には4位になり、その後も最も低い医療費のランクに位置しています。特に、平成10年度には最も低い医療費の自治体となりました。
 老人医療費も平成6年度以降は、県平均を大きく下回り、県内でもっとも低いランクの老人医療費を維持してきました。
 介護保険における第1号保険料(65歳以上の高齢者が市町村に納める保険料)も、県内でもっとも安い1ヶ月2500円でした。

 それとは逆に、福井県内で最も介護保険料が高く(1ヶ月4000円)、医療費も高いランクにあったのは、海の町E町でした。この町は特別養護老人ホームを有し、従来から施設ケアを重点的に行っており、在宅ケアを受ける高齢者は非常に少ない割合です。この町では、家でお年寄りを看ることがかわいそうで、立派な施設に入れることが親孝行という雰囲気があると聞いています。
 もちろん、どちらがいいか悪いかということではなく、それぞれの自治体が自分たちにあったスタイルの介護を行えばいいのですが、在宅ケア重視の自治体は保険料が安く、施設ケア重視の自治体は保険料が高いのは全国的な傾向です。
 私たちが実践してきた在宅ケア重視の方向性が、医療費でも介護保険料でも数値的に評価されたことは、住民にとってもスタッフにとっても大きな自信につながりました。

 勝手な推測ではありますが、「海の文化」と「山の文化」には明らかに違いがあると思うのです。
 海の文化は漁業が中心。仕事場は「船底1枚下は地獄」とも言われる海の上。仕事場と暮らす場所は別々。大漁の魚を市場にあげて一段落。流通にのせるのは主に女の仕事。男たちが飲むのも遊ぶのもたいていは家の外。気性は荒い。現金収入が多く、男も女も外で働き家を空けがちで、家に帰ってすることは食べることと寝ることだけ。
 山の文化は農林業。田畑を耕し、炭を焼き、牛や馬を飼って生計を立てる。現金収入は少なくても、食うには困らない。家の中には土間と板間があって、生業の場と生活の場が一体化した家屋構造になっている。気性は穏やか。男も女も家の近くで行動し、飲むのも遊ぶのも家が基本。
 いささか極端に対比し過ぎた傾向があり、「今は違う」と言われれば反論はできません。それでも、海山それぞれの生活文化は、そこで育った人々のDNAに深く刻み込まれているような気がしてならないのです。
 山の中では「家」を中心に、仕事と家庭を分けようにも分けられない状況の中で、家族みんなが肩を寄せ合い暮らすことで、家族の絆が強くなり、家に対する愛着がますます強くなっていきます。「生まれたのも死ぬのもこの家」といった感情が自然にわいてくるのでしょうか。
 海の町で生まれ育った私は、この山の生活文化に深く惚れ込んでしまい、見事にはまってしまい、現在に至ります。

電子カルテのドクターボードは医療施設向け紙カルテ同様の手書き入力可能が導入されているポイント
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手書きのカルテから電子カルテへの導入事例なども紹介
手書きの電子カルテだからこその導入時のスムーズさには好評を頂いております。


(株)メディコール・ジャパンでは、業務拡張ならびに人員増大に伴い大阪本店を6月29日より開設することとなりました。
詳しくは、電子カルテドクターボードホームページをご覧下さい。


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