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Author:natasho
国民健康保険 名田庄診療所
中村伸一


施設名称 :
国民健康保険名田庄診療所
開設年月 : 1955年7月
所在地 :
福井県大飯郡おおい町名田庄下6-1
管理者 : 所長 中村伸一
診療科目 :
内科、胃腸科、消化器科、アレルギー科、小児科、外科、整形外科、皮膚科
併設施設 :
「あっとほ〜むいきいき館」内に、診療所のほか、歯科診療所、訪問・通所介護事業所、国保総合保健施設、住民のための多目的室、町役場の支所などを併設。



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<中村伸一×3 奇跡のシンクロニシティ・トークライブ>
 いよいよ明日、この3人の中村伸一のトークライブがあります!おもしろい
企画で、もしかしたら、最初で最後の奇跡のライブになるかも!?
   中村伸一隊長(エクスプローラ) 地球探検隊隊長
   中村伸一所長(やまぐち総合研究所) ビジネスプロデューサー
   中村伸一院長(名田庄診療所) 医師

 日 時  7月4日(土)11時00分〜16時00分
 場 所  四谷区民ホール
 主 催  ジーニアスファクトリー株式会社 代表取締役 高城永地氏
 詳 細  http://www.genius-factory.jp/event/3sn/index.html
 
   11:05  主催者挨拶(5分)
   ---------------------------------------
   11:10  【隊長】講演(45分)
   ---------------------------------------
   11:55  お昼休憩(50分)
   ---------------------------------------
   12:45 【所長】講演(45分)
   ---------------------------------------
   13:30 【院長】講演(45分)
   ---------------------------------------
   小休止(10分)
   ---------------------------------------
   14:25  パネルディスカッション(80分)
        会場からの質問を3人の中村伸一が答えます!
   ---------------------------------------
   15:45  主催者、高城永地さん閉会挨拶(15分)
 近々、なんとも不思議なご縁で、東京と大阪で公演することになりました。よかったら聴きにきてください。 

平成21年7月4日(土)11時00分〜 四谷区民ホール
 <3人の中村伸一講演会> 
   http://www.genius-factory.jp/event/3sn/index_it.html
   http://www.aera-net.jp/magazine/naito/lovelog_re/090528_000886.html

平成21年7月11日(土)13時30分〜 特別養護老人ホーム 甍
 <元気の素 リレーセミナー>
   http://fungenki.jp/index2.html

 医学書院が発行する<週刊医学界新聞レジデント版>に載りました。Webでも公開されています。
 私と福井県済生会病院の研修医、笠松由佳先生がインタビューに答えています。地域医療を目指す、あるいは一度は地域医療を経験したいと思っている研修医の先生や学生さんはは、とにかく早い段階で地域に出ちゃってくださいね。
 まずは、自分の目で見て、感じることが大切です。

<週刊医学界新聞レジデント版>
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02833_01
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02833_02
http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=62941

 平成3年10月、福祉バスの購入という偶然のきっかけから結成された「健康と福祉を考える会」。村の保健・医療・福祉の関係者が集まって一致団結し、病弱で介護が必要なお年寄りを在宅で支えようと、次々と事業を展開。
 デイサービスの開始、訪問活動の計画化と効率化、ボランティアグループとの育成と協力、健康と福祉に関する集落座談会や各種イベント。。。徐々に「福祉の心」が広まればいいと思いながら実践していったのですが、潜在的なニーズがあったのか、比較的早い段階で「保健医療福祉の総合施設を建てよう」という運動にまで発展。
 住民も職員も参加した基本構想に長い月日が費やされ、ついには平成11年4月、保健医療福祉総合施設「あっとほ〜むいきいき館」のオープンとなりました。
 その翌年の平成12年4月から、いよいよ介護保険制度が開始となりました。あらかじめそれを予測した上で対応していたため、大きな混乱は生じず、介護保険制度はスムーズに導入されました。

 その間、実はおもしろいことがわかってきました。私たちの在宅ケアを支える活動が、数値的に評価されてきたのです。
 国民健康保険の医療費地域差指数は、各市町村が同じ人口構成であったと仮定した場合の一人当たりの医療費です。つまり、本質的な一人当たりの医療費といえます。私たちが連携して在宅ケアを支え始めた平成3年度は、福井県内35市町村のうち低い方から第17位でした。ところが、平成6年度には4位になり、その後も最も低い医療費のランクに位置しています。特に、平成10年度には最も低い医療費の自治体となりました。
 老人医療費も平成6年度以降は、県平均を大きく下回り、県内でもっとも低いランクの老人医療費を維持してきました。
 介護保険における第1号保険料(65歳以上の高齢者が市町村に納める保険料)も、県内でもっとも安い1ヶ月2500円でした。

 それとは逆に、福井県内で最も介護保険料が高く(1ヶ月4000円)、医療費も高いランクにあったのは、海の町E町でした。この町は特別養護老人ホームを有し、従来から施設ケアを重点的に行っており、在宅ケアを受ける高齢者は非常に少ない割合です。この町では、家でお年寄りを看ることがかわいそうで、立派な施設に入れることが親孝行という雰囲気があると聞いています。
 もちろん、どちらがいいか悪いかということではなく、それぞれの自治体が自分たちにあったスタイルの介護を行えばいいのですが、在宅ケア重視の自治体は保険料が安く、施設ケア重視の自治体は保険料が高いのは全国的な傾向です。
 私たちが実践してきた在宅ケア重視の方向性が、医療費でも介護保険料でも数値的に評価されたことは、住民にとってもスタッフにとっても大きな自信につながりました。

 勝手な推測ではありますが、「海の文化」と「山の文化」には明らかに違いがあると思うのです。
 海の文化は漁業が中心。仕事場は「船底1枚下は地獄」とも言われる海の上。仕事場と暮らす場所は別々。大漁の魚を市場にあげて一段落。流通にのせるのは主に女の仕事。男たちが飲むのも遊ぶのもたいていは家の外。気性は荒い。現金収入が多く、男も女も外で働き家を空けがちで、家に帰ってすることは食べることと寝ることだけ。
 山の文化は農林業。田畑を耕し、炭を焼き、牛や馬を飼って生計を立てる。現金収入は少なくても、食うには困らない。家の中には土間と板間があって、生業の場と生活の場が一体化した家屋構造になっている。気性は穏やか。男も女も家の近くで行動し、飲むのも遊ぶのも家が基本。
 いささか極端に対比し過ぎた傾向があり、「今は違う」と言われれば反論はできません。それでも、海山それぞれの生活文化は、そこで育った人々のDNAに深く刻み込まれているような気がしてならないのです。
 山の中では「家」を中心に、仕事と家庭を分けようにも分けられない状況の中で、家族みんなが肩を寄せ合い暮らすことで、家族の絆が強くなり、家に対する愛着がますます強くなっていきます。「生まれたのも死ぬのもこの家」といった感情が自然にわいてくるのでしょうか。
 海の町で生まれ育った私は、この山の生活文化に深く惚れ込んでしまい、見事にはまってしまい、現在に至ります。

<はじまりは廃校利用の施設>
 平成3年10月、福祉バスの購入がきっかけで、村の保健・医療・福祉の関係者が集まって協議した結果、「健康と福祉を考える会」が結成され、デイサービスを開始することになりました。恐る恐る始めたデイサービスも徐々に利用者が増えてきて、さらには住民ボランティアの協力も得られ、軌道に乗ってきました。
 そのころ、デイサービスを実施していたのが、名田庄村老人福祉センターでした。この建物は、廃校になった小学校の校舎を増改築し、老人福祉に活用したものです。
 しかし名田庄村の場合、この廃校になった校舎をすぐに老人福祉センターに転用したわけではありません。廃校直後にこの校舎の住人になった人がいるのです。それがなんと、伝説のフォークミュージシャン高石ともやさんでした。彼のグループは「高石ともやとナターシャセブン」といいますが、このナターシャというのがロシア人女性の名前でないことは、もうおわかりですね。そうです。なたしょう(名田庄)をもじった表現なのです。

 さて、順調に軌道に乗ってきたデイサービスですが、実はここ老人福祉センターは、もともと老人会クラブ活動で元気なお年寄りが集う場所でした。そこでデイサービスを始めたことで、寝たきりで自宅に閉じこもっていたお年寄りも来ることとなり、久しぶりの再会で昔話に花が咲きます。さらに、少し若い世代のボランティアの方たちも入り込み、もちろん私たち保健医療福祉のスタッフもからんできます。自然な形で新たな交流が生まれます。
 そうこうするうちに、誰からともなく「みんなが集えて自然に交流できる場」がほしいという声がわき上がってました。
 当時、この老人福祉センターと診療所は1km、役場本庁とは4kmの距離がありました。車で走れば、すぐ着きそうな距離ではありますが、利用者とボランティアとスタッフには「もっともっとお互い近づきたい」という思いが強くなっていきました。
 ついには、デイサービス予行演習でみずから海パン1枚で実験台になった社会福祉協議会事務局長が決断しました。
「みんなの声を集めて、村長に直談判しよう!」
 健康と福祉を考える会で診療所・役場住民福祉課・社協の全職員で話し合い、ボランティアグループとも話し合った後に、「福祉の森検討委員会」と自分たちで勝手に名付けたあやしげな委員会の署名を持って、社協事務局長は村長に直談判に行きました。
 その翌日、私は村長に呼び出されました。行政職員である私が、上司である村長に直接ではなく、社協事務局長を通じて重要な案件を提出するのは掟破りです。その方が効果があると思い、そうしたわけです。しかし「やはり、しかられるか?」という重い気分で村長室に向かいました。
 
 村長は私を見るなり、笑いながら大きな声で言いました。
 「おー、ドクター。なんや、いっしょなことを考えておったかー。実はなぁー」
 村長は私のことを「ドクター」と呼びます。部下なのに「先生」と言うのも変だし、「中村」と呼び捨てにもしません。役職で「課長」とも呼ばれません。職種の方が呼びやすいのか、いつも「ドクター」です。
 話を聞くと、驚いたことに、村長も同様の計画を考えていたのです。村長は元はスーパーの経営者で、村会議員を経て選挙で当選し、公約は「福祉の村づくり」でした。
 ところが、福祉分野の出身でないため、具体的なことは他から聞くしかありません。そこで、村内の障害者団体や高齢者団体の代表、障害児を持つ親や有識者を集め、私的な諮問機関「福祉懇談会」を開いていました。そこでも、保健・医療・福祉の総合施設の必要性が議論されていたと言うのです。
 全く同じようなことを、職員の集まりである「健康と福祉を考える会」と村長の私的諮問機関である「福祉懇談会」の双方で議論していたのです。その偶然に、村長も社協事務局長も私も、本当に驚くとともに、この計画はぜひ実現しなければならないという思いをいっそう強くしました。
 数日後に、両会の全メンバーが集まり、助役を中心に保健医療福祉総合施設の建設チームが結成されました。
 
 その後、新しい施設の基本構想に1年間を費やし、徹底的に議論しました。   
 従来の公共施設の建設は、自治体トップとゼネコン業者が密室で打ち合わせし、コンペがあればいい方で、いつの間にか図面が出来上がり、その間スタッフと住民は何も知らされることなく工事はすすめられます。完成が近づくと「いよいよベールを脱ぐ」感じで、ようやく施設の全容が明かされる。トップダウンの進め方とはこのようなものでしょう。
 私たちの場合は違います。基本設計どころか、基本構想の段階から、スタッフも住民がも入り込んでいたボトムアップの手法といえます。
 
 長い議論の末、最終的には以下のコンセプトに集約されました。
*在宅ケアを支えるための拠点とし、入院・入所は広域で考える。
*病気・障害への対策だけでなく、元気づくり・健康づくりも行う。
*従来の役所的な用事があるときだけ利用する非日常的な施設ではなく、用事がなくてもつい立ち寄りたくなる日常的な施設をめざす。
*従来の公共施設にありがちな冷たさ・堅苦しさは排除し、あたたかい雰囲気をもった施設にする。

 具体的には、以下の点が施設の図面やその後の運営に大きく反映されました。
*玄関は一つにして、診療所の患者も、乳幼児健診に来る人も、健康教室に来る人もみんなが自然に交流するようにする。
*デイサービス利用者も、当然、正面玄関から堂々と入っていただき、他の住民や職員と顔をあわせあいさつできる関係にする。デイサービス室にバスを横付けして人の目に触れさせないようなことはしない。
*公共施設の事務所は入口の横にあるのが普通だが、監視されているようで住民にとって利用しにくい雰囲気になってしまう。そこで、事務所は奥に配置し、利用頻度の高い多目的ルームを玄関横に置く。
*館内の清掃を知的障害者の授産施設に委託し、日常から障害者との関わりをもつようにする。
 
 障害や病気の有無にかかわらず、全世代の人たちに自分の家のように使ってもらい、住民とスタッフがいっしょになって育てていく施設でありたいと、その当時も今も願っています。

<ところで、だれを最初に風呂に入れる?>
 村の保健・医療・福祉の関係者が集まって協議した結果、デイサービスを開始することになったものの、非常に難しい問題が飛び出しました。いったい第1号のデイサービス利用者はだれなのか?今から15年前の出来事です――。

<「第1号」に失敗は許されない>
 本来なら、寝たきりで何年も風呂につかっていない人をデイサービスに迎え入れたいのです。しかし、予行演習はしても実績がないため自信がありません。こちらが勧めても本人から拒否されることもありえます。もともと銭湯のなかったこの村では、肌を他人に見せることだけでも抵抗があるのです。
 第1号で、失敗は絶対に許されません。一度失敗したら、せっかく盛り上がったスタッフの気持ちが萎えてしまいます。
 まずは候補者選びです。私と看護師、保健師で相談を始めました。重度の障害で寝たきりの方から、比較的元気だけどひとり暮らしの方まで、数名の候補者を選びました。
 話し合っているうちに、デイサービス利用者第1号の条件が出そろってきました。
(1)障害の程度が比較的軽症であること。
(2)感謝してくれそうな人であること。
(3)話し好きで近所の人とコミュニケーションがとれていること。
 この3条件です。(1)はスタッフの負担を軽くするため、(2)はスタッフに自信をつけてもらうため、(3)はデイサービスの良さを口コミで伝えてもらうため、という目的からです。ちょうどこの条件に合うのが、82歳の女性・南あや(仮名)さんでした。

<両手を合わせて喜んでくれたあやさん>
 あやさんは、身寄りのないひとり暮らしの方です。左目が義眼で、右目の視力も衰えてきており、自宅での入浴が困難になっていました。いつも、診察の終わり際に、両手をこすり合わせて「先生、このおばあをまた診てくださいね」と言って帰っていく方です。
 ホームヘルプでの自宅入浴も考えましたが、あやさん宅の浴室は狭く、うちの大柄なヘルパーとでは、浴室に入りきれません。こんな理由で、第1号は選ばれました。
 いよいよデイサービス初日。緊張するスタッフとは裏腹に、あやさんはご機嫌でやってきました。「ありがたいのー、風呂に入れてくれるなんて」とにこやかに話しながら。
 寝たきり老人を想定して練習してきた介護職員にとって、あやさんを入浴させることは「楽勝」でした。ひととおりサービスが終わったあとであやさんは、診察室と同じように両手をすりあわせ、拝むようにして介護職員に感謝しました。「ありがとうね。今日はいいお風呂でうれしかった。またお風呂に入れてちょうだいね」
 やったー、期待どおり! あやさんは喜んでくれ、介護職員は感激していました。その後、あやさんは、この日のことを近所の人たちにうまく伝えてくれて、デイサービスの評判は広まっていきました。まもなく、それを聞きつけた女性が「うちのおばあちゃんも風呂にいれてほしい」と申請してきたのです。

<3年ぶりの風呂に満足して逝ったすみえさん>
 デイサービス利用者第2号候補は、寝たきりで3年間風呂につかっていなかった92歳の女性、角すみえ(仮名)さんです。「死ぬまでに一度でいいから風呂に入りたい」と本人は訴えていました。
 超高齢で長年寝たきりのすみえさんを第2号として選ぶにはかなり勇気が必要でした。しかし、すみえさんの場合「死ぬまでに……」の期日はまちがいなく迫っています。本人と家族の強い要望で、看護師が立ち会うことを条件にデイサービス第2号となりました。
 当日、診療所から看護師を老人福祉センターに派遣して、すみえさんのデイサービスとなりました。福祉バスのストレッチャーに乗ったすみえさんが運ばれます。介護職員はかなり気合いが入っていましたが、それが空回りするほどスムーズに入浴介助は行なわれ、無事デイサービスは終了しました。
 驚いたことがひとつあります。長いあいだ入浴していなかった人が浴槽に入ると、どうなると思いますか? 湯船が垢まみれになるのは、せいぜい数週間風呂に入っていない人の場合です。数年間も入っていない人は、まるで足の型枠がはずれるように脱皮するんですよ。ホント驚きました。
 「気持ちよかったー。死ぬまでに一度風呂につかりたかったんや」。満足そうな笑顔でした。最初のデイサービスから数カ月後、すみえさんはあの世に旅立たれました。

<デイサービスのボランティアグループ結成>
 デイサービスを開始したこの時期に同時進行していたのが、一般住民対象の「在宅ケア講座」です。私や保健師が介護技術や家庭医学の話をしながら、家庭で介護を抱え込まないような雰囲気作りをしてきました。
 最初は80人もの参加者がいたこの講座も、会を重ねるごとに人数は減り、11回目を迎えたときは20人程度となっていました。これを最後の回にしようとしたところ、参加者からこんな声があがりました。
「中村先生! もう先生の話は聞き飽きたから、今度は実践したいんですよ、私たちは」
 なんと最後まで残った参加者たちは、ボランティアとしてデイサービスに協力したいと言ってきたのです。長くこの地で働いてきた中でも、もっともうれしい場面でした。
 デイサービスでの調理の手伝いや、入浴前後の着替えの介助などを行なうこのボランティアグループは、「やすらぎ会」と名づけられました。会員数は50名前後で、現在、活動歴は15年になります。4年前には、初代会長・山本幸子さんから二代目会長・森口敏江さんに受け継がれ、ボランティアの世代交代も順調にすすんでいます。少数ではありますが、男性ボランティアの参加もちらほら出てきました。
 地域全体で介護する雰囲気が、この地域を支えています。自然な形でボランティアとして人を介護し、老いて自分が介護される番になったら自然な形でそれを受け入れる。「お互い様」の精神で支え合う流れが今後も続いてほしいと願います。
 ところで、在宅ケアに対する私たちの取り組みが数値になって評価されたのは、デイサービス開始のずーっと後の平成11年、そう、介護保険制度導入前のことでした。
 ちょうどこの年は、保健医療福祉総合施設「あっとほ〜むいきいき館」がオープンした年です。このあたりの話は次回に。

<裸のつきあいは難しい?>
 村役場の住民福祉課長が偶然においしい補助金でゲットしてきた福祉バス。これを「どうやって利用しようか?」と相談に来たついでに、「健康と福祉を考える会」を立ち上げちゃいました。私が名田庄診療所に赴任して間もない、いまから17年前のことです。
 村の保健・医療・福祉の関係者が集まって、第1回目の会合を開いたら、いろんな意見が出るわ出るわ。その勢いで「せっかくいいバスがあるんだから、寝たきりのお年寄りをお風呂に入れる『デイサービス』を始めよう」という結論になったのです。
 しかし、そのデイサービス、簡単には始められません。なにせ、だれも経験者はいませんし、「お風呂に入れている最中にもしものことがあったら、だれが責任を取るんだ」という意見も出ました。
 そもそも、この名田庄村には銭湯なるものが存在しません。ずーっと前から、他人どうしがいっしょに風呂に入る風習がなかったのです。日頃から地域の付き合いが濃厚で、お互いの絆が強い「裸のつきあい」をしているにもかかわらず、本当の「裸のつきあい」はしていなかったことになります。
 そのような事情もあり、「デイサービスやっても、わざわざ風呂に入りに来る年寄りなんかいないぞ」という冷ややかな意見もありました。
 それでも私の中では、「体は拭いてもらっているけど、湯船には1年以上浸かっていない」という寝たきりの方を往診で診るたびに、なんとかしたいという気持ちが強まっていました。

<社協局長が一肌脱ぐ>
 一方、福祉バスをゲットしてきた住民福祉課長の思いは、それどころではありません。有効利用しなければ、たとえ補助金付きとはいえ、無駄遣いだと議会で叩かれてしまいます。みんなの前で課長は言いました。
 「とにかくやりましょう! やるしかないんです!」
 しかし、勢いで始めるには少々無理があります。経験もないのに、いきなり虚弱な寝たきり高齢者を入浴させるのは危険です。そこで私が提案しました。
 「みなさん、どうでしょうか? このメンバーのなかのだれかが水着になって、手足を縄でくくって、片麻痺のお年寄り役になってもらいましょう。一度、練習してみましょうよ。僕がビデオで撮りますから、あとでそれを見て、考え直しましょうよ」
 すると、社会福祉協議会の事務局長(社協局長)が間髪入れずに応えたのです。
 「それなら私が一肌脱ぎましょう! お役に立てるならッ、海パン1枚になりますよ。ガッハッハッ」
 当初私は、役場の新人男子職員がこの役に適していると考えていました。女子職員で志願する人がいたら止めはしませんが、できたらご遠慮願いたい年齢の方々でした。(おこられるかな?)あとになって知ったことですが、この局長、実は肉体自慢の方で、脱ぐのがけっこう好きなようです。でも、酔って公園で全裸になるような人ではありません。

<入浴介助のチェックポイント、服の脱がせ方、着せ方、お湯の温度>
 とにもかくにも、社協局長を海パン一枚にし、手足をしばって片麻痺老人に見立てた入浴サービスの予行練習を行なうことになりました。やがて生まれてくる子どものために買ったばかりの8ミリビデオを、成り行きとはいえ、まさか縄で縛られた海パン1枚のオッサンの撮影に使うことになろうとは思いませんでした。トホホ……。
 数日後に行なわれた入浴サービスの予行練習会には、健康と福祉を考える会のメンバー全員がそろいました。
 実際のデイサービスを想定した練習ですから、お迎えから始めました。福祉バス「ふれあい号」でご自宅にお迎えにあがり、老人福祉センターまで運びます。そして、バスの項部に備わったリフトで、車椅子に乗った片麻痺老人役の社協局長を降ろす。次に、車椅子を押して、センターの室内に入ってもらい、保健師と看護師が体調を問診し、血圧・脈拍・体温等をチェックします。ここまでは順調、順調。いい感じです。
 さて、いよいよ入浴です。年齢を感じさせない肉体を誇る社協局長の体は、たしかに筋肉質で立派でした。いやいや、そんなことはどうでもよくて……。
 服を脱がせる順序のチェックも入ります。脱がせるときは健側から、着させるときは麻痺側から。介護の基本です。
 海パン1枚になった局長に、新米の介護職員がまずシャワーをかけました。
介護職員「ほな、シャワーかけますよ。」
社協局長「うわっちっち! なにするんじゃー!!」
 介護職員は自分の好みの温度でシャワーをかけたのです。親切心で。この介護職員はとても熱好きでしたが、社協局長はぬる好きなのです。個人の好みでお湯をかけてはいけませんね。
 お湯をかけるときには、まずは熱いのが好きかぬるいのが好きか、好みをたずねて、それから足元から徐々に上のほうにお湯をかけていく。あたりまえと言えばあたりまえなのですが、未経験だからわからないんですね。最初のお湯のかけ方をクリアしたら、あとの入浴介助は上手でした。新米といえども、さすがに勉強していましたね。

<で、だれを最初に入れる?>
 とりあえず一通り終わったあとで、反省会を開きました。いえ「反省会」という呼び方はしょぼいので、「発展会」にしようということになりました。前向きでいい感じです。
 録画したビデオを見ながら、あーでもないこーでもないと、みんなで議論しました。重症の利用者のときは診療所の看護師が応援に行くこと、湯冷めしないような工夫をすること、入浴前後に水分摂取を忘れないこと、浴室で不便な箇所の改修費用は、課長が次の補正予算で計上すること、などが確認されました。
 とってもいい雰囲気の中、入浴サービス予行練習会は終わりに近づいてきました。そのときです。
 「ところで、だれを最初に風呂に入れるんだい?」
 予行練習から、一瞬にして現実に引き戻されました。非常に痛いところをついた意見が飛び出しました。それまでのいい雰囲気がいっきに寒くなるような瞬間でした。
 第1号のデイサービス利用者はだれにするのか? もともとニーズのなかったところを掘り起こす作業が始まります。 (つづく)
 本邦初の地域医療学の教科書「地域医療テキスト」が、医学書院から出版されました。
 私はこの教科書の編集から関わり、巻頭「ある地域医師の1日」と第鶤章「人々のライフサイクルに関わる地域医療」の執筆を担当しました。特に第鶤章には力を入れました。
 この章は、大浜市名田荘地区という架空の地域を設定し、卒後20年目のベテラン医師のもとに派遣された卒後4年目の後期研修医が、1年間の医療活動を通じて、地域で人々のライフサイクルに関わっていることを実感していくストーリー仕立てとなっています。
 大浜市名田荘地区のモデルは、もちろんおおい町名田庄地区(旧名田庄村)であり、卒後20年目の医師は今の自分、卒後4年目の医師は昔の自分がモデルです。つまり、今の自分のところに若い頃の自分が来たら、どう接していくのだろうか。。という設定で書きました。とってもリアルなストーリーです。
 医学生、研修医はもちろんのこと、現場で活躍中の地域医療の実践家や指導医にとっても、読みごたえのある教科書です。
 しかも、コ・メディカルの方や医療従事者以外の方が読んでも、面白い内容になっています。
 以下の医学書院のHPをご参照ください。
 
  http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=62941

 医者になってたかだか3年目で、たった一人しか医者がいない名田庄村の診療所所長になった私。懸命にもがきながら、村の人たちと向き合う毎日。
 耳はいいけどボケたじい様と、耳は遠いけどしっかり者のばあ様が、微妙なバランスでギリギリ生活している老夫婦。脳卒中で緊急入院したものの、寝たきり状態のまま退院し、その後は、家族が病院に薬を取りに行っていたケース。長年寝たきりで、家族の力では風呂に入れることができず、なんと三年間入浴していなかった方。
 あーー、医療の限界! このような問題の解決方法は医学の教科書に載っていません。「どうやら診療所の医者と看護師だけでは、こんな方たちを支えきれないなー」と実感していたころ、どこからか風が吹いてきました。

<行政と福祉のベテランにはめられた!?>
 平成3年10月のある日のこと。当時の村役場の住民福祉課長が、社会福祉協議会(以下、社協)事務局長といっしょに診療所にやってきました。その理由は、なんとも妙な相談でした。
 住民福祉課長が、競艇の補助金で福祉バスをゲットできたというのです。その福祉バスは13人乗りで、車椅子やストレッチャーでもリフトで上げて乗れるようになる、非常に優れた福祉用の車両でした。
 それにしても変ですよね。まず、必要性を考えてから、物を購入するのがスジです。でもこのような補助制度での福祉バスは、早く手を挙げないとよそに取られてしまので、とりあえずゲットしたというのが実情です。
住民福祉課長「いやー、中村先生。忙しいのに申しわけない。じつは、福祉バスっちゅーのをこのたび買いまして、なんかえー利用方法はないもんですかいのー?」
私(中村)「これを機会に、福祉バスの有効利用だけじゃなくて、お年寄りを支えるしくみづくりをみんなで話し合いましょうよ」
社協事務局長「えーですなー。それでは、中村先生を会長にして、みんなで話合う機会をつくりましょうよ」
私(中村)「なんですとー!?」
 定年間近の住民福祉課長は行政のベテランで、社協事務局長は福祉畑のベテラン。たかだか医者3年目でよそ者の私など、人生経験では足元にもおよびません。その私を会長にして、村の保健・医療・福祉の関係者をみんな集めて話し合おうと言うのです。私は「そんな機会があればいいな」と思っただけで、自分が中心になろうとは思ってもみませんでした。
 今考えると、この古狸たち(と言っては失礼か?)にはめられたような気がします。
 そうです。このような多職種の集まりで、いちばん煙たがられるのが医者なのです。そんな医者でも、自分が中心ならば、わがままも言えないし、まとめなきゃいけないから医者自身が周囲に気を遣わなければならない。うまく、やられちゃいました。

<まずは会の名前を決めましょう>
 数日後、診療所からは医師(私)・看護師・事務員が、役場住民福祉課からは課長・保健師・福祉担当者・保健担当事務職らが、社協からは事務局長・保健師・ヘルパー・事務職員が集まりました。
 どうやって切り出したらいいのか、私は考えあぐねていました。
 別々の部署から集まってきて、「さぁ、話し合いなさい」と言ってもそうそう意見は出てこないのがあたり前。意見を言う人は言うけど、気が小さい人は発言しない。いったいどうしたらいいのか?
 そこで最初に、同じ部署の人が重ならないように4人ずつのグループに分けました。各グループで話し合ってもらったのが、会の名称についてでした。
私(中村)「みなさん、せっかく集まったんだから、これからみんなで村のために何ができるか話し合いましょう。まず、会の名前を決めちゃいましょう。この会をどんな会にしたいのか、それを踏まえて各グループでキーワードを出してください」
 この一言で、いっせいにグループでの話し合いがはじまった。4人程度の小グループだと、全員が参加しての話し合いになるので、だれも人ごとのような顔はしていません。
「これからは高齢化が進むし、福祉の時代だろう!」
「あんまりしょぼくれた暗いことばは嫌やな。元気か健康はどうや」
「この村で最期、死ぬときにいい人生やったと思えたらええな」
「いきなり大きなことはできんけど、とりあえず知恵を出し合って考えようや」
 いろいろな意見が飛び交い、なかなか収拾がつかないくらい話し合いは熱を帯びてきました。最終的にこの会の名前は「健康と福祉を考える会」となりました。家で最期を迎えられる村づくりの第一歩でした。

<お年寄りと元気な人たちのふれあいを乗せて>
 ところで、福祉バスの件はどうなったか? 
 実は、この話し合いのなかで、福祉バスをきっかけに「せっかくいいバスがあるんだから、寝たきりのお年寄りをお風呂に入れる『デイサービス』を始めよう」という結論になったのです。バス(Bus) 買っちゃったから、バス(Bath) に入れよう!ってな具合ですね。
 そうなんです。順序が逆なんですよ。ふつうは、デイサービスをやるからバスを買うんですよね。でも、うちの村の場合、バスを買ったからデイサービスを始めることになったのです。「できちゃった結婚」ならぬ、まさに「買っちゃたデイサービス」が私たちの出発点でした。
 さて、バスの名前も決めなければなりません。自分たちで考えるよりは、村の皆さんにアピールする目的もあり、公募で決めることになりました。
 その結果、ついた名前は「ふれあい号」。このバスを通じて、住民とスタッフが、寝たきりのお年寄りと元気な人たちが、みんながふれあうようにという思いが込められています。
 私個人としては、デイサービスを利用するお年寄りを迎えにいくバスだから、その機能通りに「お迎え号」というシンプルな名前を考えていました。しかし、他のメンバーからは「お年寄りに対して、『お迎え』は失礼ですよ。霊柩車じゃないんだから」と、ごもっともな理由で却下されてしまいました。トホホ……。
 さてさて、デイサービスの開始ですが、そう簡単にはいきません。なにせ、だれも経験者はいないし、「お風呂に入れている最中にもしものことがあったら、だれが責任を取るんだ」という意見も出ました。
 そこのところをどう乗り越えたか? それは次号で。
<未熟な医者の不安な診療所赴任>
 医者になって3年目の平成3年に、ここ名田庄診療所に赴任しました。現在はおおい町の一部となった旧名田庄村は、福井県の最南端に位置し、人口約3000人、高齢化率は当時すでに25%の山村です。名田庄診療所はこの村で唯一の医療機関。医師はもちろん私ひとりだけでした。
 医師免許取得後3年目の私が、医師ひとりだけの診療所で働くことは、経験が少なかったこともありたいへんなプレッシャーでした。
 田舎の診療所だと、特定の診療科を掲げていないので、どんな病気や怪我の患者さんが来るのか全く想定できません。わからないことがあっても、相談できる先輩医師は周囲にいません。今なら、インターネット検索もできるし、電子メールで他の医師に相談することも容易にできます。しかし当時は、そんな便利な世の中ではありません。毎日が不安の連続でした。
 でも、不安でどうしようもなくびびっている若い医者に診られる患者さんは、もっと不安だったでしょうね(笑)。よく耐えながらつきあってくださいました。
 不安は医者として新米だったからだけではありません。なんと私は、新婚1カ月もたたないうちに名田庄村にやってきたのです。そう、生活者としても新人だったわけです。病院での初期研修の仕事を整理し、新婚旅行から帰ってきたと思いきや、すぐに引っ越しとなりました。そんなわけで、私たち夫婦の名田庄村での最初の行動は、村役場への婚姻届の提出でした。
 私の出身地は三国町(現・坂井市)という福井県の最北部です。同じ福井県でも、ここ名田庄村とは全くの逆サイド。知り合いなどいるはずもなく、当時の診療所の事務長さん夫妻にお願いして証人になってもらい、無事、婚姻届を提出しました。これでめでたく、私たちは法律上も夫婦となり、村民になることができました。

<「家」への思いのある村>
 でも、不安ばかりだったわけではありません。不安をはるかに上まわる「燃料満タンのやる気」もあったんです。
 自分ひとりしかいないということは、逆に考えると、なんでも自分の思うようにやっていいということになります。そうです。ここには口うるさい先輩医師や意地悪な古株看護師もいないのです。国民健康保険の直営診療所(村の公的診療所)ですから、村長が開設者であり私の上司ですが、医師は私ひとりで、かつ管理者なので、診療のすべては私の手のなかにあるのです。研修医時代に、いろいろな科で先輩医師や看護師と衝突する問題児であった私にとって、「好きにやっていいよ」という神の声(聴こえたような気がしたけど幻聴かな?)は、非常にありがたくもありました。
 重い責任と同時に自由な権限を手に入れた私は、やる気は満タンになったものの、エンジン全開までには少々時間がかかりました。自分のエネルギーをどこに向けたらいいのかわからなかったのです。しばらくは充電の日々でした。
 3カ月くらい過ぎた頃、この村の特徴に気づきはじめました。まず一つは、屋号で呼び合う風習が残っていること。同じ名字でも親戚関係はなかったり、嫁にいくと名字が変わって出身地区がわからなくなったりしますが、屋号で「どこそこの出です」と言えば、みなさん「おー、そこの出かい」で話が通じます。こちらにとってはチンプンカンプンですが、それだけ家のつながりを大切にしている証拠です。
 また「家で死にたい」と望むお年寄りが非常に多いとも感じました。今でも九割以上の方がそう願っていると思います。そして家族のほうも「できることなら家で看取りたい」と思っているのです。都会でマンション生活を送っている人には想像がつかないくらい、家に対する強い思いを村の人たちはもっています。

<やる気が空回り――忘れられない患者さんたち>
 この赴任間もない時期に、往診で出会った何人かの患者さんたちが今でも忘れられません。耳はいいけどボケたじい様と、耳は遠いけどしっかり者のばあ様の二人暮らし世帯。お互いの弱点を埋め合ってギリギリで生活しています。もしもどちらかが病に倒れたら、二人の家庭生活は一気に困難な状況に陥ってしまいます。
 また、脳卒中になり救急車運ばれ緊急入院。その後、寝たきり状態のまま退院したが、病院からの往診は当然なし。家族が病院に薬だけ取りに行っていたケース。発熱で診療所に往診依頼があり、お宅に行ってみたところ、ふつうの風邪でした。薬を出したあと、「今後は定期的にこちらで診ましょうか?」と切り出してみましたが、「いざというときは病院に頼みたいのでけっこうです」と断られてしまった。トホホ……。
 長年寝たきりで、介護する家族の力では風呂に入れなくなってから、なんと三年間も入浴していなかったという方もいました。何か病気があったわけではなく、老衰のような感じでの寝たきりだったので、どの医者にもかかっていない。「腰のあたりに黒いものができている」とのことで往診依頼。「悪性腫瘍か?」と緊張しながら患者宅に行って診てみると、そこには大きな床ずれ(褥瘡)が! 処置後に「今度はいつ来ましょうかね?」と尋ねると、「困ったことがあったら連絡するので、それまではけっこうです」との返事。来るなといわれりゃ、行くことはできない。

<医療だけで解決しなくてもいい>
 こんな方たちを診ているうちに、医療だけで対応することの限界を感じてきました。医者のやることは、診察し診断して薬を出すだけ。しかも、有料の割に短時間。呼ばれりゃ行くけど、呼ばれなきゃ行けない。病気は診られるけど、生活面をみることはない。実際、新婚で若造の医者には、介護の苦労や嫁姑関係の奥深さなど理解できるわけがありません。
 村の人たちの家に対する思いが強いのはわかるけど、あまりに自分たちだけでお年寄りを囲い込みすぎるのです。責任感が強すぎて、「うちの年寄りをよそ様に看てもらうのは家の恥だ」とでも言わんばかりに。
 はーぁ、医療の限界……。
 ちょっと待てよ。何も医療関係者だけで解決しなくてもいいんじゃないかな! そう気づくまでに、それほど時間はかかりませんでした。

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